去年はいろいろな「当たり前」を疑ってみて、日常生活を変えてみることにしました。
「アタリマエ」だと思っていたことは、例えば下記のようなことです。
- 炊飯器でしかご飯は炊けない
- トースターでしか食パンは焼けない
- 洗濯洗剤でしか洗濯はしてはならない
- テレビはひと家庭に一つは必要だ
- ゴミ箱はひと家庭に一つは必要だ
「あ、これっていらなかったんだな」って、妙に心地がいいことです。
少ない物で暮らせるということ。物に依存しすぎないこと。
買わなくていい。使いこなさなくていい。詰め替えなくていい。
みんなが持ってるから、使ってるから、そんなようなことに振り回されない人生。
もうそろそろ、始めてみませんか?
当たり前を見直そう

炊飯器じゃなくてもお米は炊ける
7年選手だった炊飯器のふたが割れてしまい、それをきっかけに鍋で炊飯することにしました。
炊き方はいたってカンタンです。
玄米は8時間以上、白米を2時間、浸水。
鍋に入れて、沸騰させたら弱火で15分。たったこれだけで炊けてしまう。
炊飯器は確かに「炊飯」するにはラクかもしれないですが、結局のところ場所を取るし、掃除をしたりのメンテナンスは必要になってきます。(鍋より入り組んで掃除しにくいですしね)
慣れると、鍋で炊飯はめちゃくちゃ快適です。
トースターではなく、ガスグリルで食パンを焼く
トースターを処分しました。食パンはガスグリルで焼いています。
直火なので焼ける時間が早いし、美味しい。もちろん、食パン以外のものも焼くことができます。
私はよく、ガスコンロで目玉焼きを焼きながら、ガスグリルで食パンを焼いています。同じ導線上なので、作業がやりやすいですよ。
トースターだと、10分くらいつけていると焦げ防止のため停止機能が働いて、勝手に電源が切れてしまいますが、ガスグリルなら長時間OKなのでストレスなし!
トースターも炊飯器と同じで、入り組んでいて掃除がし辛いですが、ガスグリルは掃除しやすいのも嬉しいポイント。
食器用洗剤で洗濯をする
「場所別専用の洗剤」っていろいろありすぎて、面倒くさいと思いませんか?
そこで、私の家では食器用洗剤を大きいタンクボトルで購入して、それを食器用洗剤、洗濯用洗剤、お風呂とトイレ掃除、ハンドソープ、と様々に活用させています。
買っている食器用洗剤はこちらです。

この中性洗剤を10倍程度に薄めて、泡で出るハンドソープボトルに詰め替えて使用しています。(食器用、ハンドソープとして)
洗濯には、セスキ炭酸ソーダを小さじ3杯と、この中性洗剤の原液をタンクボトルから直接、洗剤入れに投入して洗濯しています。(お風呂とトイレもこのやり方です)
洗剤の役割ってほとんど同じようなもので、界面活性作用によって油(皮脂)汚れを浮き上がらせて洗浄するもの。中性だったらどこに何を使っても同じです。

ただ、焦げや皮脂汚れはアルカリ性が効くのでセスキ炭酸ソーダを、石鹸カスや尿石用にクエン酸を買うようにはしています。
それでも、食器用、お風呂用、トイレ用、床用、手洗い用…と買っていた頃と比べると、今ではたったの3種類におさまっています。
詰め替え作業もほぼなくなり、ラクになりました。
テレビ、ゴミ箱を使わない
テレビやゴミ箱、家庭内にあって当たり前。本当にそうでしょうか?
我が家は、去年どちらも処分しました。
テレビはもともとほとんど見ておらず、それなのにホコリは溜まっていく一方…。掃除面倒でした。
ゴミ箱は、袋をセットするのも面倒だったし、ゴミが多くなってくると、ゴミ箱から袋を取り出さないとゴミが入らなくなってくるのが不便でした。
袋って伸縮性があるので、袋の状態ならもう少し詰め込めます。でも、ゴミ箱がそれを阻害してしまうのです。
「見栄えが嫌」というのも私にはなかったし、逆に袋のまま使ったほうが(ゴミは見えるけれども)シンプルで良かったです。

「当たり前」って面倒くさいかも

「当たり前」って、世間が決めてきたことではないでしょうか。
「みんな買ってるから」とか、「みんなやってるから」「みんな使ってるから」…。
そこに、自分の意思を持ってみてもいいのではないでしょうか?
自分の家に必要ないのであれば、持たなくても良いと思うのです。
私にはテレビも炊飯器もトースターもゴミ箱も、たくさんの洗剤類も必要ありませんでした。
むしろ、この「当たり前」たちが、私の生活をより複雑にさせていました。
「あーそっか、なくて良いんだ。買わなくて良いんだ。使わなくて良いんだ。」
これで、生活がよりシンプルになって、肩の荷が降りように思えます。
掃除やメンテナンス、買い換え、詰め替え、そして使いこなす労力がまるっと無くなったからです。
いきなり捨てると上手くいかない

私の経験上ですが、誰かの真似をしていきなり捨てるのではなく、じょじょに必要なくなってくるように思えます。
小さいものからどんどんと手放していき、「もうそろそろ手放すものがないなぁ」というところまで来ると、次は「当たり前」を疑い始めるからなんです。
そして、大きな物を手放すことができていく…。
私はこれに、スピリチュアルな部分も少しだけ感じました。「急に物が壊れたりする」こと。(私の場合は炊飯器が壊れました。)
大きな物を捨てようとすると後悔も大きくなりやすいので、まずは小さな物からコツコツと手放していきましょう。

