本当の自由とはなんだろう?【自分軸でいること】

「自由とはなんでしょう」と聞かれて、パッと答えられる人は少ないですよね。

それに、自由とは人それぞれ価値観も違うもの。

どれが正解、間違い、ではきっとないんですね。

わたしが感じる自由には、「自分軸でいられること」を挙げたいと思います。

目次

自分軸でいられることの嬉しさ

わたしはずっと、他人軸を生きてきたと思います。

もちろん、今が完全に自分軸!他人軸には戻らない!とは言い切れません。

調子の悪い日は、ついうっかり他人軸になってしまうこともあるんです。

…が、自分軸で過ごすことに慣れてくると、だんだんとその癖が強くなってくるようです。

自分軸っていうのは、自己中心的で、自己主張の激しい人…という意味では決してありません。

自分軸でいても、他人の主張を聞くことだってありますし、頼み事をされて引き受けることももちろんあります。

けれども、他人軸でいたときは、イヤイヤやっていました。そして、後からぐちぐちと不満が出てきてしまうのです。

自分軸だと、「自分が納得したものを引き受ける」という、自分で選択して、やっているので、不満は出ません。

「他人にどう思われるか」ではなくて、「自分がどう思うか」で動きます。

もちろん、現代の世の中で、理不尽にやりたくないことをやらされる機会も多いでしょう。

ですが、最終的には、自分の手で、自分の運命を決めることができる。と強く思う心持ちがあると、「まぁ、やってやるか(笑)」…みたいな感じで、受け止めることもできるようになります。

わたしはこの、「最終的には、自分の手で、自分の運命を決めることができる」という心持ちのことを、とても自分軸でいられて、自由だなぁ、と感じます。

自由というものは、人それぞれ

わたしのように、自由とは自分軸のことだよ、と感じる人もいれば、そう思わない人もいます。

何が正しいか、間違っているかではなく、自分がそれを自由と感じられることが「自由」の意味ですね。きっと。

例えば、生きていく中で、最も、お金に価値を置いている人もいます。

「月15万円以下の収入は不自由!それ以上でないと!」と思う人もいれば、

「月15万円もあったら自由で幸せだよね」って思う人もいますよね。

自由と感じにくい人もいる

先程挙げたように、「月◯◯円以上収入がないと、不自由」と思う人がいたとして、その金額が多くなればなるほど、自由は感じにくくなると思います。

条件をつけるとつけただけ、自由は難しくなります。

3億円貯めて、バリ島に別荘を買ったら、それは自由だと感じるかもしれませんが、実際そうなるには難しいでしょう。

自由と感じられないことには、必ず理由があると思います。

  • もっと寿司を食べに行きたい
  • 毎日タクシーに乗って楽に移動したい
  • 誰よりもおしゃれでイケメン(美人)に見られたい

…などなど、欲望は挙げたらキリがありませんが、これが叶わないと幸せになれない=不満になる=不自由…といったふうに、繋がってしまう気がしています。

自分の理想と、現実にギャップをつけすぎてしまうと、それに縛られてしまい、自由を感じられなくなってしまいます。

他人を変えようとする不自由さ

「他人を変えよう」と思うと、自由を感じられなくなってきます。

実は、人は誰しもが、「他人を自分の思う通りに動かしたい」と思っているのです。

でも、それは、感謝も、尊敬も、謝罪の心すらも、感じられなくなっていきます。

他人は、誰かのあやつり人形ではないのです。

「自分を変える」というのも難しいことではありますが、決して不可能ではありません。自分は自分でコントロールができるからです。

本当の自由とは、他人を自分の思う通りに操作するのではなくて、自分自身をコントロールし、自分にとって生きやすいように、考えたり、行動していくことを言うのだと思います。

自由と感じやすくなるためには

わたしは、生活の質をあまりあげすぎないように普段から心がけています。

例えば、

  • 炊飯器ではなくお鍋でご飯を炊く
  • 使い捨ての日用品をなるべく避ける
  • 買う前になにかで代用できないか考える
  • 美味しいもの、高級なもの、を食べるときは必ず月一回などと決める
  • タクシーなどの乗り物に基本は頼らず、なるべく歩くようにする

…といった感じです。

過去のわたしは見栄っ張りで、高いガジェット、家電製品などを揃え、友人に自慢したりしていました。

「高級で便利なものをたくさん持っているほどスゴイ」と信じて止まなかったからです。

けれども、人間は困ったもので、上を目指せばキリがありません。欲望には終わりがありません。

一度、どん底を経験してからは、様々なモノを手放してきました。

最初は慣れなくて不便で、みじめでしたが、数ヶ月もすれば慣れ、むしろ今までどんなに恵まれていたか思い知りました。

今では逆にこの不便さが楽しくて、どこまで不便さを楽しめるのか、自分の中で挑戦していたりします。

自分軸で生きるように心がけ、「少ないモノだけでも暮らしていける」という自分を自ら選択し、それを日々行っていくことに、とてつもない自由さを感じています。

わたしのように不便になれと言っているわけではありませんが、欲望があればあるほど、条件をつければつけるほど、身動きがとれなくなって「不自由だ」と感じることが多くなるのではないか?と考えています。

これはあくまで、わたしの例ですから、参考までにどうぞ。みなさんが、自分なりの「自由」を見つけ、楽しく暮らせるといいですね。

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