誰かと喧嘩してしまったとき、人はつい、「どっちが正しいのか」などという勝敗を決めがちになります。
喧嘩中はイライラ、不安、不満などの感情がガーッと渦巻いています。
冷静でいようとしても、心は大きく混乱してます。
そんな中で、自分の言ったことが正しかったのか、というところに固執してしまいます。
勝敗を決めたがるからなんです。
正しさを決めても、モヤモヤする理由
例えば友達と、13時に約束していたのに、友達が遅れてきたとします。
もちろん、遅れてきたほうが悪いですよね。「どうして遅れたの?待ったんだから〜〜!」ってあなたは怒ると思います。
けれど、友達にも色々事情があって遅れたのかもしれません。けれど、何を言っても言い訳にしか聞こえず、お互い険悪ムード。
これって友達同士じゃなくても、家族や夫婦とかであったりしますよね。
喧嘩の原因は色々です。
ここで大体の人は、「どちらが悪いか」という原因を探っていると思います。
今回の場合だと、遅れてきたほうが明らかに悪い。でも、友達はごにょごにょ弁解していて言い訳っぽい。
約束の時間に間に合った自分が正しいのは当たり前で、遅れてきたほうが悪い。これで、勝ち負けは決まりました。
けれどもなんとなく腑に落ちない。こういう状況も、結構あったりしませんか?
人と合わなくなっている、そういうときは必ずある
私が、喧嘩での「正しい・間違い」を決めることに固執しない理由は、人と合わないときは必ずあるからです。
上のような状況では、何回読んでも、「遅れてきたほうが悪い」と思ってしまうのが普通です。それは、そうですよね。
けれども、昔の自分だったらすんなり許せたかも知れない。体調の良い時、機嫌の良いときなら、友達が遅れた理由を話すことも、「言い訳臭い!」と感じないかもしれない。
人は生きていると、毎日少しずつ、価値観や波長が変化しています。
価値観や波長の合わない者同士が集まると、どうしてもいざこざが生まれやすくなってしまいます。
それは、どちらが正しい、間違っている、とかではないですよね。
勝敗よりも、距離を置いてみる
人は、喧嘩をすると勝敗を決めたがる。
それは、自分が言ったことが正しいのか、知りたいから。自分は間違っていない。なぜ相手が間違ったのかも知りたい。そして、謝って欲しい。
怒りや不安、不満、混乱、そういう感情を、処理したくて必死になります。
その手段として、正しさの押し付けをしてしまうこともあります。
けれども、先程も書いたとおり、人は日々、波長や価値観が少しずつ変わっていくので、喧嘩として発展しやすいとき、しにくいとき、そんなときが出てくるんです。
中には、なかなかどっちが正しいという決着つかずの喧嘩もありますよね。
「自分が言ったことは正しかっただろうか」
「相手が間違っているのに、なぜ謝ってこないのか!」
…などと、そういう気持ちに固執してしまったら、ぜひこのことを思い返してみてください。
こういうときは、ひとまず相手との距離を置いてみましょう。
どちらが正しい、悪いという思いにとらわれていると、自分も結構シンドいですからね。
そうではなくて、「たまたま相手との波長が合わなかったんだな」「今は価値観がズレているんだな」というふうに思って、しばらく距離を置いてみましょう。
喧嘩、揉め事において、勝敗、正しさの押し付けは必ずしも有用ではないです。
たまたま合わない。そんなときがあったりするのです。
距離を置いているあいだに、頭が冷えます。そうすると見えてくることもあります。
怒りや不安、不満、悲しみ、混乱という感情がぐるぐる渦巻いているときに、交わす言葉は火に油なことばかり。そういうときは、意味もなく勝敗にこだわってしまいます。
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